1553年8月初頭。最上義守は足利義輝により正式に南出羽の国主に任命される。六角家により従属大名化された足利将軍家であったが、天下は今だ六角家の手に落ちたわけではない。義輝は最上家が将来自分の地位を安堵させる大名家に成長すると確信したのであろう。六角家の当主である六角定ョは、最上家を成り上がりの田舎大名だと侮り、義輝による最上家への国主任命を黙認した。
六角定ョ「最上家など、しがない羽州探題の一族であろう。あの様な田舎大名が当家を危機に陥れる事は無いだろう。此度の任命に関しては将軍殿の顔を立てて容認するとしよう」
そして、国主任命を受けた最上家では。
氏家守棟「殿、足利義輝様により義守様の南出羽国主任命が下されました」
最上義守「よし、これで奥羽の地における当家の威光は高まったな。これで奥州国を再興させる準備が整った。直ちに周辺の諸大名に関東大名を打ち破る為、一致団結しろとの書状を届けろ。この北国を一つにまとめるのだ」
大關高掾u殿、南から迫る関東武士を破るには戦による領土拡大だけでは間に合いませぬ。不毛な領土に居を構える大名家は外交により臣従させてしまいましょう」
最上義守「うむ、その通りだな。しかし大崎家、葛西家が居を構える北陸奥。そして奧州探題職を持つ伊達家には、武力による介入を行いたい。大崎、葛西の持つ広大な領土を手に入れる事が出来れば(最上家の直轄領が増えるので)、北方の小大名を臣従させる事が容易になるだろう。また大崎家は古くからこの地に根ざす名門の家系。必ずや滅亡せしめなければならん。大崎家攻略後は伊達家に軍を派遣し滅ぼすとする。伊達家の奧州探題職(陸奥国守護職?)を我が最上家に譲渡させれば奥州国の再来は叶ったも同然だ」
里見正光「それでは外交による領土拡大は北出羽の地から行いましょう。大寶寺領を手中に収めた頃から北出羽の大名家より臣従志願の使者が多数参っておりましたが、殿のご意向により志願の受諾は行っておりませんでした(伊達家の庇護の元、領土を広げた成り上がり者の汚名を着てしまうため)。しかし今や南出羽の国主となった当家を成り上がり者と罵る大名家はおりませんでしょう。拙者に北出羽における外交戦をお任せ下さい」
最上義守「よし。それでは正光、北出羽の大名家を臣従させるのだ。守棟、高揩ヘ本軍と共に伊達家、大崎家との戦の準備をせよ」
こうして最上家は奥州国再来を目指す為に邁進する事になる。そして1553年8月中旬、里見正光は兼ねてより最上家への臣従を願っていた北出羽の小大名を臣従させる。
里見正光「これだけでは任務は達成された事にはならぬぞ。次は同盟関係にある大名家を従属させるのだ。失敗は許されぬ。その為にはまずあの大名家へ使者を送るとするか」
そして正光は小野寺家に使者を派遣した。その頃、小野寺家当主である小野寺輝道が居を構えるK澤城では。
小野寺輝道「何!?最上家から従属要請の使者が参っただと!?」
家督を継いだばかりである若干18才の当主、輝道である。この突然の使者の来訪により狼狽してしまった。ここで重臣である土肥道親が進言する。
土肥道親「書状には関東武士に打倒するため、北国の大名家は最上家の下に終結すべしと記されております。しかし、昨今の最上家の躍進を考えましても北條家を始め、関東武士に対抗する事は難しいでしょう。臣従してしまえば、我が小野寺家は関東武士の怒りを買う事になります。ここはしばらく天下の様子を観望するとして、この要請は断る事が上策であると思います」
小野寺家に古くから仕え、家中を支えてきた道親の進言である。若輩の当主、小野寺輝道はこの策を受け入れる事にした。しかし、道親の進言に異を唱える者が現れる。小野寺家では新参の家臣、八柏道爲である。
八柏道爲「殿、恐れながら末席からの進言をお許し下さい。拙者は此度の最上家からの要請を受諾するのが上策かと思われます。ここで要請を断れば関東武士の侵略を待たず、北国制覇を目指す最上家に当家は滅ぼされてしまうでしょう」
土肥道親「新参者が殿にご決断に異を申すとは無礼な!貴様、もしやすでに最上家と通じておるな!?」
八柏道爲「いえ、その様な事は決して御座いませぬ」
しかし道爲はすでに里見正光と通じていた。道爲はもはや小野寺家が、この戦国の世で生き残るには最上家に臣従するしか無いと確信していたのだ。そして小野寺家さえ臣従させれば、雪崩式に北出羽の諸大名は臣従していくだろうと考えた正光の策に同調し、主君を説き伏せる事を約束したのである。
八柏道爲「殿。此度の要請を受け入れれば、当家はいち早く最上家の唱える奥州国の設立に貢献する事になります。我が小野寺家は連合国の中でも厚遇される事でしょう。また最上家が伊達、大崎を降せば、北條家の前に立ちはだかる佐竹を打ち破る事が可能になります。佐竹領土を得た最上家は北條家と対等以上に戦を行う事が可能になりましょう」
小野寺輝道は八柏道爲の進言を聞き、しばし熟考する。確かに伊達家の領土を侵食した最上家は、この奥羽の地において他家の追随を許さぬ大名に成長した。大崎、伊達を滅亡せしめ佐竹家を打ち破るのも難しく無いだろう。
小野寺輝道「よし解った。我が小野寺家はいち早く最上家に臣従するとするぞ。使者には従属要請を受けるとの返事を返すのだ」
土肥道親「しかし殿!」
小野寺輝道「くどいぞ道親!それともお前に最上家からの攻勢を打ち破る策があるとでも言うのか!」
当主からの叱責により道親は黙り込んだ。八柏道爲は思う。これで小野寺家の滅亡は避けられただろう。そして私の野望への道も開かれるに違い無い。こうして小野寺家は最上家に従属する事になった。小野寺家が従属したとの知らせを受けた北出羽の諸大名は遅れを取らんと、我先へと正光からの従属要請を受け入れた。ここに正光と道爲の策は実を結んだのである。
里見正光「なぜか本堂家のみ同盟の要請を受け入れなかったが、今月はこれで良しとしよう。問題は来月に北出羽の諸大名が臣従要請を受け入れるかだ。そして小野寺家と国境を接していた和賀家とも同盟を結んだ。今後は北陸奥にも徐々に当家の臣従大名を増やしていこう」
そして正光から北出羽の諸大名を臣従、従属させた旨の報告を受けた義守の元へ、さらなる朗報が届く。越後の長尾家が同盟要請の使者を派遣してきたのだ。
この同盟により、名実共に南出羽は越後から軍神の侵略を受ける事が無くなった。そしてこの瞬間、義守は南出羽の民にとって英雄となったのである。そして8月下旬、万事準備が整った最上軍は。
最上義守「それでは、これより伊達家、そして北陸奥における伊達家の従属大名へ進軍するとする。全てはその後に控える大崎家との戦への布石だ。皆の者、準備は良いか?それでは出陣じゃ!」
もはや義守に迷いは無かった。北方の大名家を力により従えるには強大な領土が必要になる。義守は守棟に北目城、三好政勝に小野城、水谷正村に保原城、そして梁川城にも兵を進軍させ、次々と伊達家の支城へ攻勢を仕掛けていった。
そして総大将が率いる本軍は角田城を落城させる。
最上家の過去の戦でも類を見ない怒涛の進撃であった。
最上義守「北方の臣従大名家を従わせるには広大な領土を得る事が必要だ。いささか強行手段ではあるが、このまま陸奥を平らげるとするぞ」
そして翌月の1553年9月。諸国にとって待ちに待った収穫の季節が来た。義守は前年と同様、税率を3割に抑える政策を打ち出す。
最上義守「我が最上家も大軍を擁するようになった。今は少しでも軍資金が欲しいところである。しかし奥州国の再興には奥羽の民の信頼を得る事が不可欠。我が御家が財政難で破綻するか、それとも悲願達成への布石となるか。一か八かの賭けではあるな」
氏家守棟「御心配には及びませぬ。大軍を養うには厳しい状況ではありますが・・・」
最上義守「不可能を可能にする事こそ家臣の役目。そう言いたいのであろう。全く、わしほど果報者は、この天下を見渡してもおらぬだろうな」
そして1553年9月初旬。小野寺家は他家の大名家よりも、いち早く最上家への臣従要請を受諾する。
この小野寺家の動きに八柏道爲の働きがあった事は言うまでも無い。不毛の山岳地に生まれたこの謀将は、最上家の北方進出に尽力する事こそ自らの使命、そして出世への道だと確信していたのである。
そして、この小野寺家の臣従に呼応するように北出羽の大名家は次々と最上家に臣従していった。
なんと檜山安東家の臣従大名であった湊安東家をも最上家に降ったのだ。かつての主従関係をも厭わぬ湊安東家の決断は、奥羽の地における最上家の威光を示すものであるのだろう。
しかし磐石かと思われた北方大名家の制圧に大きな壁が立ちはだかる。本堂家による不戦同盟の拒否、そして北出羽における名門、檜山安東家が最上家への臣従を拒否する旨の書状を送ってきたのである。
これに頭を悩ませたのは北方大名制圧を命じられていた里見正光である。最上家躍進に貢献してきた稀代の智将の手によっても、檜山安東家当主、安東氏季の首を立てに振る事は出来なかったのである。
里見正光「困った事になった。我が最上家の本軍は陸奥での戦に兵を割くのに精一杯。小国である本堂家はともかく、奥州国設立を目指すには安東氏季との従属関係を白紙にし、攻め入る必要がある。しかし、その様な時間は無いのだ。一体どうすれば良いのだろうか」
最上家が檜山安東家の攻略に手間取っている。この情報をいち早く掴んだのは、小野寺家家臣、八柏道爲である。八柏道爲は里見正光が駐屯する北出羽制圧の拠点、鮭延城へ早馬を走らせた。
小姓「正光様。小野寺家より八柏道爲殿が面会に参りました。何でも火急の用であると申しております」
里見正光「八柏道爲か。奴には北出羽制圧の切っ掛けを作る為に尽力してもらった。もしや檜山安東家を臣従させる為の進言をしに参ったのかもしれぬな。構わん、私の前に通せ」
八柏道爲「面会の許しを頂き誠にありがとうございます」
里見正光「何でも火急の用で参ったそうだな。もしやそなたに檜山安東家を臣従させる策があるのか?」
八柏道爲「正光様にはお見通しで御座いましたか。仰る通り、彼の御家を最上家の傘下に組み入れる策を進言しに参った所存で御座います」
里見正光「しかし同族の湊安東家を失ったとは言え、檜山安東家は6万石の領土を所有する大名。おいそれと当家に臣従するとは思えんが」
八柏道爲「確かに彼の御家は北出羽の中でも広大な領土を持つ名門で御座います。生半可な事では他家に臣従したりなどしないでしょう。しかし当主である安東氏季が何を考え、そして何を目指しているのか。それを突き止めれば配下に置くことは可能だと私は考えます」
里見正光「ほう。ではそなたの考えを述べてみよ」
八柏道爲「率直に申し上げて、安東氏季は天下への野望を捨ててはいません。また我が主家である最上家が北へ軍を送れぬのを看破しています(大崎家、伊達家との戦に兵を割く必要がある為)。また最上家の従属大名になる事により南からの侵攻を恐れる必要が無くなったのを好機と見ており、長年領土争いを続けてきた南部家を降し、北の地に確固たる地盤を築こうとしているのです(檜山安東家が現在戦を行っている大浦家、淺利家は南部家の従属大名)。
里見正光「確かに檜山安東家は港を擁し、山岳に囲まれた支城を数多く有しておる。滅亡させるには、どれだけ時間が必要か知れたものではない。関東武士との戦に備え、一刻も早く北国制覇を目指す当家は弱みを握られていると言っても過言では無いな」
八柏道爲「しかし安東氏季の策を封じ込め、当家に降す策が私にはございます」
里見正光「それは何だ?申してみよ」
八柏道爲「南部家と同盟をしてしまうのです。これにより檜山安東家は攻め入る領土が無くなり(従属大名は主家の同盟国に攻め入る事は出来ない)、最上家に臣従せざるを得ないでしょう」
里見正光「なるほど。身動きを封じられた氏季の悔しむ様子が目に浮かぶようじゃ。よし、檜山安東家攻略はお主に命じるとする。必ずや成功させるように。成否の如何によっては、お主の望む褒美を取らすとする」
八柏道爲「それでは檜山安東家攻略が成功した暁には、義守様との面会を許して頂き、私を最上家の客将にしていただけませんでしょうか」
そういって道爲は深々と頭をさげる。小国である小野寺家の一家臣である私が出世するには、ここが正念場であるのだ。何としても正光殿に義守様との面会を許してもらわねば。
里見正光「檜山安東家攻略は当家が目指す奥州国再興にとって欠かす事のできない物。成功した暁には義守様との面会を許そう。しかし客将に取り立てられるかは義守様の判断次第。私がこの場で約束をする事はできぬ。しかし出来るだけお主の願いが叶うよう尽力しよう」
八柏道爲「ははっ!ありがたき幸せで御座います」
そう言って再度、道爲は平伏するのであった。その後、八柏道爲は南部領へ早馬を走らせ、その智略により見事同盟を終結させる。
この同盟により安東氏季は南部家の従属大名への軍勢を撤退させ事実上、領土拡大は不可能になった。
八柏道爲「南部家が多数の従属、臣従大名を抱えていると言えども所詮は直轄6万石の大名家。南部家もろとも最上家の傘下に組み込む事は造作無いだろう。私は必ず成功させてみせるぞ」
一方その頃、檜山安東家当主、安東氏季が駐屯する摩當では。
安東氏季「何!?最上家が南部家と同盟を組んだだと!?」
安東季村「はい。これで最上家と従属関係を結んでいる当家は南部領へ攻め入る事が不可能になりました」
安東氏季「先手を打たれたか!義守が大崎、伊達を相手に手間取っている間、北方に勢力を拡張する戦略が破綻してしまったぞ!」
安東季村「かくなる上は最上家の臣従要請を受諾し、関東武士との決戦を覚悟するしかありませぬ」
安東氏季は北條家による東国支配を確信していた。従属大名である地位を利用し北方に勢力を広げた後に海軍を擁し、南の北條家、そして北の檜山安東家による最上家殲滅を画策していたのである。しかし、その策も八柏道爲によって破綻する事になった。
安東氏季「こうなっては仕方が無い。もはや当家は最上家と命運を共にし北條家を始め関東武士との戦を覚悟せねばならぬようだな。無念じゃ・・・」
かくして北出羽の名門も最上家の傘下に組み込まれる事になった。
こうして里見正光、八柏道爲の尽力により、北出羽は無血で最上家の傘下に組する事になったのである(なぜか同盟を拒否した本堂家を除いては)。
ところで、昨年の9月から一年が経過したわけであるが、この一年で最上家はどの様な成長を遂げたのであろうか。
その領土は44万石まで増えていた。昨年の24万石に比べて20万石の加増である。奥羽の大名家の中でも指折りの大名家になったのは勿論の事、全国の大名家の中でも突出した存在に成長したのであった。不毛な南出羽統一を優先する戦略を執り、今年は国力の増加は見込めないと思われた最上家であったが、伊達家の領土を獲得する事により(初めは南出羽を防衛する為の進軍。その後、奥州国再興のため躊躇無く進軍を行った)予想を上回る成長を遂げたのである。それでは諸国の大名の成長を見てみよう。
まずは越後長尾家の衰退から着目してみよう。軍神長尾景虎率いる長尾家本軍は今だ上野の地で北條家と激戦を繰り広げていた。上野での戦では負け知らずの長尾家であったが、長く続く大国北條家との死闘で国力は疲弊し、本国において北條氏、古志長尾氏、新發田氏の独立を許してしまったのだ。北條家の躍進を止める事に成功した景虎であったが、その代償として国内の不満を引き起こしてしまったのである。
その他の大名家は10万石に近い成長を遂げているのが解る。斉藤道三率いる美濃齋藤家は三木家を始め飛騨の大名を支配下に置き10万石の次なる目標である越中の神保家へと進軍を目指していた。
そして関東大名でありながら北條家包囲網に加わる事の無かった佐竹家は本国常陸統一を果たし下野の宇都宮家の領土を併合するのに成功する。現在北條家と同盟を成功させている有力大名家は佐竹家のみである。今だ国力では北條家に及ばぬ佐竹が同盟を破棄し、上野、武蔵に進軍するとは考えにくい。下野の攻略が済み次第、陸奥に進軍するのは明白であろう。
また豊かな近江に本拠を置く六角家は北畠家を打ち破り伊勢へと領土を広げていった。伊勢の軍港を手に入れた六角家は尾張への進出も可能になる。今川家より先んじて尾張を手中に収めるのは六角家かもしれない。
また六角家は足利将軍家を庇護する事に成功している。同じく中央掌握を狙う三好家との対立も遠い未来の話では無いだろう。
その突出した領土の為、関東一円の大名家から包囲網を敷かれてしまった北條家であったが、周辺の小大名を臣従化させる事により国力は2万石減で抑える事に成功した。しかし本国である相模は今川家への攻勢を受け、上野の領土は武田家に奪われてしまう愁いを味わう事になった。臣従大名家による兵が中心の今川家はともかく、強兵を有する武田家の躍進を許してしまった事は、東国での北條家の威光を落とす事に繋がるだろう。今後、関東の諸大名の動きによっては北條家に変わり、武田家が東国の覇権を握る事になるかもしれない。
そして、この一年で最も成長を遂げたのは最上家である。伊達家領土の獲得は勿論の事、里見正光、八柏道爲達の北出羽制圧により、その石高(臣従込み)は全国2位まで成長を遂げていた。今後、大崎家、葛西家の領土を併合し、南部家を支配下に置けば北條家を凌駕するのも夢では無い。義守が唱えた奥州国は、今静かに産声を上げつつあった。
続く
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